連休なんて迷信ですよね

 4月末に論文提出。5月中旬に発表。高々卒論の焼き回しのために、卒論の頃と同じような忙しさに見舞われていますこんばんは。そんなわけで本日のカラオケには行きません。行けません。至極残念だと思う一方、まあ前に行ったばかりだしとある程度納得のいく理由をつけてみます。合理化と言います。
 ところでカラオケって独りで行くときと大勢で行くときとではまったく趣が異なりますよね。ひとりなら好きな歌を好きなだけ歌っていればいいんですが、人数が増えると空気を読む必要が出てきたりして、ついついお茶を濁すような曲を入れたりしますよね。仲間内だと大抵どんな曲を歌っても許されますけど、それでも歌によってはどうコメントしていいか分からない微妙な空気が微弱ながら漂いますよね。もちろん大勢で行っても平気で誰にも分からない曲やツッコミ所に困る曲を歌い、場を静まり返らせる人間はいますけどね。私のことなんですけどね。えへへ。
 そりゃあやっぱり大勢で行った方が楽しいですよ。けれどそれは歌を歌うのが楽しいんじゃなくて、大勢で行くことそれ自体が楽しいわけです。飲み会なんかと同じです。誰も知らない歌を歌うっていうのは、飲み会で誰も興味がない話を一方的に聞かせることと同じだと思うんですよ。純粋に歌を歌いたいだけなら、独りで行ったほうが遙かに効率的・合理的なはずですよ。いわゆるヒトカラってやつです。独空。人殻。大勢で行くときは空気を読んだ歌を歌って、ひとりで行くときは好きな歌を歌う。そういった歌い分けができるとより楽しめるし、精神衛生にもいいと思います。思いました。思い知りました。何、めいっぱい好きな曲を歌いたいけど、孤独に耐えられない? 知らん。
 まあ実際は知らない歌を聴いて興味を持つ、なんてことも多々多々あるわけで、そこまで気にする必要はないんですけどね。聴く側としても同じ曲ばかり聴いていると「また○○か……」と飽きてしまいますし。というわけで、最近めっきり空気の読めない曲しか歌えなくなった私は、さらに多くの空気の読めない曲を会得するため、粛々とひとりで行く機会を覗っているのでした。えへへ。