4. 高田崇史『試験に出るパズル―千葉千波の事件日記』

 『QED』の高田崇史が書くパズルミステリ。最後の話を除いて、メインの事件とパズルが完全乖離しているため、実際は「パズルとミステリ」。パズルは面白かったが、小説としての部分はそれほどでも。高田とは波長が合わないらしい。
 感想は以上。以下に述べるのは個人的な思想に基づく意見であり、決して考察や評論に類するものではない。
 批評会にて「パズルはミステリか?」という話題になった。個人的な結論として、答えは否。なぜならミステリは小説であり、パズルは小説でないから。
 確かにミステリは、フーダニットにおける消去法など、論理パズル的な要素を多分に含んでいる。本格と銘打たれたミステリが、より謎解きに特化しようとする現実もある。けれどミステリはあくまで小説である。たとえ話が面白くなくても、キャラが立っていなくても、そこには個々の意思を与えられた人間(あるいはそれに類似するもの)が存在している。彼らが行動した結果として謎が生まれ、謎解きの必然性に迫られたものがミステリだと思っている。
 しかしパズルは小説でない。パズルは問題を主役とするべく、あえて物語性を排した代物である。そこに登場人物は不要。小噺が付随している例もあるが、それは具体性を持たせることで読者の思考を促進させるためであり、本来は不要である。人間と物語が不要な以上、パズルは小説とは別の何かである。
 僕はミステリを読み始めて日が浅く、ミステリの何たるかを語れる身分ではない(その割に色々と知った風な口を聞くけれど)。けれどもしミステリが人間と物語を排し、ただのパズルに成り下がったとしたら、僕は最早それを読まない。