線路(掌編)

 夕暮れ。冬枯れの平原。
 打ち捨てられた廃線の上を、二人で歩く。
「人生は、よく線路に例えられるね」
 彼女は危なっかしいバランスで、錆び付いたレールの上を歩いている。
 僕は枕木を一つずつ踏みながら、その隣を歩いている。
 線路の果ては見えず、どこまでも続いているように見える。
「例えば親に望まれるままに、有名国立大学への進学を目指す受験生がいるとする。学校に塾にと日々勉強を積み重ねていたある時、彼はふと、その空虚に気がつくんだ。『僕は親の敷いたレールの上を走っているだけなんじゃないか』と。まったく被害妄想甚だしい」
「…………」
「ちなみにその受験生は今、私の隣を歩いているんだが」
「余計なお世話だ」
 僕の言葉を無視して、彼女は続ける。
「しかし実のところ、人生と線路は似て非なるものだ。こんなふうに」
 彼女はよっ、と線路から降りてみせた。制服のスカートがふわりと膨らみ着地。十点満点。
「好きな時に、脱線することができる」
 彼女は目を細め、にやりと意地の悪い笑みを浮かべる。
「私たちは電車じゃない。人間だ。その足は三六〇度、望んだ方向へ踏み出すことができる」
「そう言いつつお前は、線路に沿って歩くんだな」
 皮肉のつもりだったのに、彼女は涼しい顔で答えた。
「私がそうすることを望んだからね」
 さいですか。
 
 しばらく歩いたところで、線路は左右に分岐していた。
「昔はこれを手動で切り替えていたらしい」
 彼女は錆びたレバーを動かそうと必死になっていたが、どうやら無理だったらしい。振り返り様に回し蹴りを見舞い、こちらに戻ってくる。
「さて、どちらに行こうか?」
「お前が決めろよ」
「じゃあ右だ」
 彼女は即答する。
「どうして?」
「私は右利きだからね」
「……そんな適当でいいのか?」
「いいんだ」
 こうして適当に決められた線路を、僕たちはまた歩き出した。
 
 さらに歩くと、小さな駅に辿り着いた。もちろん今は使われていない。
「少し休んでいこう」
 僕たちはホームの上に登り、並んでベンチに座る。
「最初の駅から数えて、これで五駅目か」
「そうだな」
 答えながら、歩いてきた方向を振り返る。前の駅やさっきの分岐点はもう見えない。たった一本の線路だけが、地平の向こうにまっすぐ延びていた。
「ずいぶん歩いたな……正直、ちょっと疲れた」
「勉強ばかりで身体が鈍ったんじゃないか?」
「そうかもな」
 大きく身体を伸ばせば、ベンチはぎしりと軋む。
 正面には見渡す限り、雑草と荒地で覆われた平原が広がっていた。何の面白味もない景色。哀愁さえ感じない。
 ふと、聞いてみたくなった。
「なあ、どうして歩くんだ?」
「どうして……?」
 彼女は不思議そうな表情で、こちらを振り向いた。
「歩く目的とか、向かう場所とか、ないのか」
「さあ、考えたことない。強いて言えば、歩くこと自体に意義があるのかもしれない」
「ダイエットとか?」
「蹴飛ばすぞ」
 ごめんなさい。
 
 そうして、何もない時間が流れていく。
 傾いた夕陽に、藍色混じりの茜空。冬の日没はあっという間に訪れるだろう。
「さて、行くか」
「まだ歩くのか?」
「当たり前だ。日没までまだ時間がある」
 彼女はベンチから立ち上がると、くるりと振り返った。
「ところで、君はどうして歩くんだ?」
「僕?」
「そう。確かに誘ったのは私だが、強制した覚えはない。なのにどうして、こんな無意義な行動に付き合っている?」
「どうして、って……」
 僕はしばらく考えるふりをして、答えた。
「……暇だから」
「暇、か。受験生の言葉とは思えないね」
 彼女は声高に一笑すると、ホームから飛び降り、再びレールの上を歩き出す。
 僕もまたその隣に並び、枕木を踏みながら歩き出す。
 線路の果てはまだ見えず、どこまでも続いているように見えた。
  
 君はどうして歩くんだ?
 ――それは、こうしている時間が楽しいから。
 なんて、口が裂けても言わないけど。